Vまん、徒然

北の果ての素人ギター弾き、独り言

毒撮、東京へ征く。

構想・計画1年。
いよいよ迎えたという感じの、熱すぎる池袋の夜でした。
東京で活動している特撮カバーバンド・特盛さんからのありがたいラブコールにより実現した、我々毒撮の東京遠征。
先方の、緻密で丁寧な予定組みのおかげさまで、終始安心して行動することができました。主催であるギタリストのマッツンさんがとにかく気を遣ってくださるマメな方で、最初から最後まで微塵の心配もありませんでした。実際にお会いしてみると初めて会った気がせず、いきなりまず熱いハグから始まりました。特盛のみなさんみんな、気さくで楽しい方々で、会ってすぐに打ち解け、リハからもう楽しかったです。
しかも対バンには、人間椅子バンドの恐怖新聞社さんも。10年くらい前から知っていて、メールのやり取りも何度かさせていただいたことはありましたが、今回やっとお会いすることができました。狂気のステージングとは裏腹に穏やかな方々で、もっと早くお会いしたかったです。
トップを飾ってくれたVAMPSのカバーバンド、VAMP AHEADさんも本家への愛を感じたステージで、ドラマーの方の熱いMCもそれを表していました。


今回遠征するにあたり、機材を少なくしようと、歪みのエフェクターを組み込んでいこうと思ったのですが、直前のスタジオリハでやはりピンと来ず、決意しアンプを手で持っていきました。道中は本当に辛かったですが、ステージで安心してやれたし、音を出すことこそが今回のメインだったので正解だったかな。
全編通して、ほとんど知ってる曲オンパレードのライブ。他のバンドのときも一緒に歌い、騒ぎ、腕を上げ、頭振り。なんて楽しい夜。この時間が、このままずっと続けばいいのに。
自分たちの演奏も今のすべてを出し切りやり切れた感がありました。たくさんのお客さまに後押しされ、心の底から、多少無理してでも来てよかったと思いました。東京の知り合いが違う知り合いと繋がっていたり、世の中の狭さという意味ではなく、人が運びあう広い縁を感じました。しばらく振りに会えた大学時代の仲間やかつての青森の仲間、そしてどんな感謝の言葉を持ってしても表し尽くせない青森からついて来てくれた仲間。ほか、来てくださった方々すべてには本当に支えられました。その一人一人にこの思いの丈を伝えきれていないことがもどかしい。予想以上にたくさんのお客さまがいらして、盛り上げてくださいました。
音楽が紡いだ糸。手繰り寄せあい確認することで、人の繋がりと、その音楽自体の素晴らしさを改めて噛みしめる。今回のような企画が実現できたこと、YoutubeSNSも捨てたものじゃない。
朝3時半まで飲んで語ってもまだまだ語り足りない。そういう人たちが確かにそこにいた。確かに縁あって、同じステージを踏んだ。楽しくてあっという間に過ぎ去った夢のような時間。またこれからじわじわと回想しながら、いまだ熱を帯びて覚めぬその余韻にもう少し浸れそうです。
関わってくださったみなさま、本当にありがとうございました。そして趣味で音楽を続けてこれて本当に良かった。さまざまなことを再確認できた、とても有意義な遠征でした。

「毒撮 」 池袋手刀
1.荒井田メルの上昇
2.シネマタイズ
3.中古車ディーラー
4.殺神
5.揉み毱
6.綿いっぱいの愛を
7.ゼルダフィッツジェラルド
8.じゃあな
(最後、特盛さんと)
世界中のロックバンドが今夜も
アベルカイン

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《おまけ》
たまたま、僕らのライブの次の日に渋谷のヴィレヴァン人間椅子トークイベントと撮影会があるという。事前に電話で問い合わせたところ、町田路面店にはまだそのイベント券が1枚残ってるという。青森からなんですが、と打診してみたが、券は店頭渡しだという。それならばと予約をしてやった!朝早めに起きて(激眠)町田へ開店時間に間に合うように小田急線で行き、無事入手したのちすぐさま渋谷へ踵を返し、無事整列に間に合いました。いつもの椅子の御三方。お話も面白かったです。ベロ出しメタルシャウツをお願いし一緒に撮ってもらいました。のち、弘前でお待ちしてますと握手してきました。
ほんと、特撮と椅子まみれの2日間でした。疲れましたが満足満足。正しいお金の使い方ができました。

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定禅寺ストリートジャズフェスティバル2017、ありがとうございました


動画です↑

1.兄弟船
2.北酒場
3.津軽恋女
4.東京砂漠
5.俺はぜったいプレスリー
6.津軽海峡冬景色


今年も仙台にて行われた定禅寺ストリートジャズフェスティバルに鋼鉄節で行ってまいりました。
お日柄もよく、朝に青森を出発し、やいのやいの語らいながら会場を目指し。
去年は榴岡公園のステージでしたが今年は青葉区役所北側、ビルとビルの谷間で自然に少し残響がかかる感じの場所です。
お知り合いがたくさん応援に駆けつけてくださいました。言葉をかけていただいたり、お土産を持参してくださったり。猛烈に感謝いたしております。
初めて見てくださる方のほうが圧倒的に多いと思い、初めましての思いを込めて、いつものとおりにお約束パフォーマンスを。
近いところにお客さまの笑顔を感じ、声援を聴き、嗚呼今年も来てよかったと演奏しながらも感慨を新たにするのでした。

ちなみにこのフェスのタイトルの意味は、「定禅寺ストリートのジャズ」ではなく、「定禅寺という地域での“ストリートジャズ”(自由な音楽が生まれる意)」なのだそうで、ジャンルがいろいろあっても不思議はないとのことです。ですから我々は胸を張って、ストリートジャズのロック部門であると言い切りながら、また次回も参加したいなと希望するのであります。

おいでくださった方々、遠くから応援してくださった方々、関係者のみなさま、メンバーと仲間各位、ありがとうございました。

鋼鉄節(メタルブシ)10日仙台へ

「第27回 定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台 2017」へ、我がバンド「鋼鉄節」が出場いたします。
こうてつぶしではありません、読み方はメタルブシです。


昨年度も出させていただいて、無茶な遠征計画によりとても疲れたのではありますが、寝てないテンションの中たいへん楽しくやれました。しかも街中が生の活きた音楽に溢れていて、街を行き交う人がみんな笑顔で、とてもいい企画だなぁと感激して帰ってきただけに、今回もまた参加できることは感謝と歓喜の極みです。

1991年に始まったときは、会場は9ステージで参加バンドは25バンドだったそうです。ジャンルを広げ、徐々に知名度も上がり、協賛とか協力とかもかなり前の段階から日々努力されてきたことでしょう、実行委員の方たちはいつも寝る間も惜しんで準備をされているんでしょう、27回目の今年は、94ステージで760バンド。これって凄いことですよ。なにより、継続し、成長しているところが素晴らしいです。会場を提供してくださることに感謝を。時間を提供してくださることに感謝を。関わるすべての人と物と街と店と行政に感謝を。


毎年、土日の2日間開催されるのですが、私たちは9/10の日曜日のほうに出ます。
場所は青葉区役所北側で、時間は13:30からです。
ジャズとは無縁の、演歌へヴィメタルアレンジバンドですが、公共の場におけるお耳汚しもほどほどに、精一杯がんばって、見てくださる方を笑顔に変えたい。
北の果てにこんな滑稽なバンドがあるんだ、ということだけでも置いてこられたら。
それが、私たちの名刺代わりです。


杜の都で、お会いいたしましょう。

https://www.facebook.com/metalbushi/

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SION-YAON 2017 with THE MOGAMI

また弾丸で見に行っていたんですが、自分のライブやらなにやらでウダウダしてるうちに時間が経ってしまいました。思い出して書いてみようと思います。
日比谷野外大音楽堂でのSIONのライブ。
お盆休みも明けた8/19、今回も思い立ち、泣かせてもらいに都会へ飛びました。
東京、それまでも少し怪しかった空が、開場前に並んでるときに土砂降りになり、雷鳴も頻繁。合羽を着てましたが、足元はもうずぶ濡れです。並んでる人たちはみな俯いたまま、何かに祈るかのように。

定刻より遅れて開場。自分の番が回ってくるまで時間がかかるであろう物販コーナーの長蛇を尻目に、そそくさと指定位置につきました。

開場は遅れても開演時間は予定通りに。しかしミラクルというものは起きるもので、開演のころにはちょうど雨も弱まり、見事に止みました。

 

「来てくれてありがとうー」

赤いシャツを風に靡かせながら、いつもの開口一番。

しっとりとした曲から始まりがちな恒例の野音ライブですが、今回は頭からグイグイ飛ばしてきました。一発目はアップテンポなこのロックナンバー。この歌詞がまた、たまらなくいいんだよね。

 

 好きで気を遣ってよけい気を遣わせて ドアを閉めたらタメ息なんかついてる
 なんでもかんでもふざけて笑って その蔭でみっともなくシクシクシク震えてる 
そしてまた話は自分の事ばかり だからこんな俺が嫌いだ

(だからこんな俺がきらいだ)

  懐かしめの好きな曲が続き、まだCD化されていない曲もはさみ、最近のアルバムからも多数。そんな中、暮れゆく刻に生で聴く「SORRY BABY」と「Slide」は特に良かったです。スタジオ盤で聴くよりも、心の深いところにまで染みてきます。やばい。泣グ。

遠くの空が雷でしょっちゅう白く光りはするも、ライブ中に雨が強く降ってくることはなかったです。曰く、みんなの行いのおかげだって。

なにしろSIONさんは、その吐き出す言葉がいいのです。その虜になってもう30年以上経つのです… ラジオで聴いて感動したのは中学生のころでしたから、あぁ経る時よ。

 初期の歌詞と今の歌詞は趣きが違いますが、そりゃそうです。大人になってなお尖った10代のように都会の無機質さへの恨み節を書く人はどこにもいません。中期以降の詞もまた優しくて哀しくて、とてもいいのです。

 亡くなったお父さまに捧げた曲だったり…

生まれた街での暮らしより此処で暮らした時間が
いつの間にかずっと長くなってあの時のあなたの歳になった
笑いながら生きている いつかあなたに言われたように
生かされてることに感謝しなければと
それでも時々思う がんばってもがんばっても
いいことなんかねえじゃねえか ガキみたいに思う(Slide)

 

 歳を重ねた余裕が導き出す言葉であったり…

 

四六時中追い立てるこの灰色の時計は
いつからか残りの数しか刻みゃしない
初めから手ぶらで来たんだぜ 何を恐れてる
もっとドカッと行こうぜ
こんなクソ時計 ドブにくれてやれバッカス

 

最近はあれもこれも見に行くということはなく、本当に好きなものだけに絞って音源を買い、ライブに足を運んでいます。溢れるものの中から削ぎ落として、ふるいにかけて。情報過多で迷走する音楽シーンなんてどうでもよく、かといって疲れるからいちいちそれらに対し批判もせず、信じてついていける一握りのアーティストだけを、これからも深く、ただ深く、掘り下げて楽しんでいければと思います。

時間は大事に使っていきたいです。無限じゃないのですから。

 

 

 

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SION-YAON 2017 with THE MOGAMI」 

日比谷野外大音楽堂

 

だからこんな俺がきらいだ
水の中にいるようだ
低い空
これ以上どうしろっていうんだ
洒落た日々から遠く離れて
大好きで
バッカス
Hello 大切な記憶
午前3時の街角で
追っつかない
SORRY BABY
お前の空まで曇らせてたまるか
俺の空は此処にある
Slide
後ろに歩くように俺はできていない
すばらしい世界を
春よ
新宿の片隅から
マイナスを脱ぎ捨てる

 41
ONBORO
Hallelujah

今さらヒーローにはなれやしないが
そしてあ・り・が・と・う
このままが

ザンボット3

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戦争をテーマにした映画かアニメが見たいなと思ってこれを選び、ここ最近ずっと見ていました。「無敵超人ザンボット3」。1977年のロボットアニメです。
リアルタイムで見ていた当時は小学校に上がるくらいの歳だったので、物語の深いテーマなどは理解できず、ただキャラクター・ヒーローとしてのメカだけを目で追い、主人公の小学生が小生意気でうるさいな、ぐらいに感じていただけでした。無理もありません。これは大人になってから見るべきアニメでした。リアルに戦争をテーマにした凄惨なドラマです。

宇宙から攻めてきた敵と戦う→街が破壊される→巻き込まれた人が死ぬ→その原因はザンボット3を擁する側の人間にあるという→市民から激しく非難される、という状況がたくさん出てきます。しかも、ザンボット側の人間も実は宇宙人なのです。彼らの祖先もまた、星を敵に滅ぼされて地球に逃れてきたのです。悪い噂を流布され、濡れ衣を着せられながらも悔しさの中で敵に向かっていきます。あまりに重い立場に置かれるから、あのような無邪気でわんぱくな少年を主人公のキャラに設定したのかもしれません。

敵は、地球の民間人の難民を集め、手術をし、爆弾を彼らの体内に埋め込み、人間爆弾を製造します。これは今で言う自爆テロのような描写です。降ってきた雨で、ちょうどいいから体を洗えと裸にされ集められます。ナチの愚行を連想させる忌まわしい光景です。人間爆弾だと自覚した人たちは他人のために距離を置き敵の下で爆発しようとします。勇んで向かった少年も、直前になって恐怖で嗚咽し、取り乱します。仲直りしたばかりの幼馴染のガールフレンドもこの人間爆弾にされ、ザンボットの移動基地の中で爆死します。

そして、身近な大事な仲間がとにかく次々死んでいきます。祖父も祖母も、父も母も、ザンボットのほかの操縦士のいとこたちも、親友である犬でさえも、基本的に敵に特攻して次々亡くなっていきます。お前はせめて生き残れ、すまんが先に逝く、と。

敵が主人公のカッペイに最後に問いかけるシーンは鬼気迫る問答です。「お前はなぜ我々に戦いを挑んだのだ」「地球を守るためだ」「自分たちのためにだけか」「いや違う」「地球のやつらに頼まれたのか」「俺たちの地球だから守るんだ」「地球のやつらがお前らに感謝などしないだろう」「そんなことはないみんないい人たちだ」「本当に大切な人を亡くしてまでも守る価値があったのか」「でも俺は地球が大好きなんだ」…

 

敵は、最後に意味深な言葉を残して滅びます。
我々は、宇宙の平和を保つための存在であり、悪の心に満ちた地球人を抹殺するために地球に来たのだと言います。
宇宙平和のためのパトロールをしていて、次の危険分子が地球人であると決定されたのだと。

正義とはいったい何なのか、立場による見方の違いとは、そして戦争が持つそもそもの無意味さと空虚さ。
通常子ども向けアニメでは敵を倒すと殺された人が生き返ったりしますがそんな生易しい描写は一切無しで、勧善懲悪で敵を倒したから一件落着とはいかない、現実味を帯びた物語であるといえます。

今緊迫した情勢の中、このアニメーション作品を、軍事衝突を起こしかねない世界的地位にいる人たちにこそ見てほしいと願います。

 

 

たばこに思う

最近は、時間があるときにはAmazon Primeで映画をよく見ています。会費払ってるから元を取っちゃるという貧乏人根性からですが、普通にビデオレンタル代に換算したら元取りすぎで、むしろお得すぎていいのかこのシステムって思っちゃうほどです。アマゾンの回し者ではございません。

映画は、穏やかで、涙腺にくるようなものが好きです。アクションやホラーは好んで見ません。
今は時期的なものもあり、戦争にまつわるものを見る機会が多いです。

古い映画にはそこかしこ、やたらに出てくるのに、最近の映画でほとんど見なくなったシーンがあります。たばこを吸うシーンです。
風立ちぬのような、戦時中に遡って表現する手段にさえもクレームが来るという現状。
昔の映画には、たばこを吸うシーンが本当にたくさんたくさん出てきます。男も、女も、若者も、老人も。あたりまえのグッズのように。
たばこを吸う仕草は、焦燥、緊張、不安、苛立ち、もどかしさを表現する反面、安堵、信頼、友情、休息、落着をも表します。
不思議なアイテムですね。

当然、健康に良いわけはないので控えたほうがいいでしょう。がしかし、最近の魔女狩りにも似た、行き過ぎな排他的な政策はどうしたものかと思います。
特にここ数年ですね、テレビやインターネットを通じて排除の方向へ人々を扇動してるのは。なんだか危険な民主主義のような感じもします。

単純に好き嫌いの問題ではなく、国が認めて流通させ、なおかつ税収に充てている以上は、その対価を払って購入し、嗜んでいる者を一方的に禁ずることは道理に合わないのではないかと思うわけです。
ついこの間まで、とても近い場所で、親も、先生も、上司も、日常的に吸っていました。副流煙もあるでしょうが、そんな環境で育ってきた我々は現に今、生きています。

嫌いな人の意見も大事です。尊重すべきでしょう。
しかし人にまったく迷惑をかけない嗜好品というのはないと思います。
嗜好品に限らず、人に迷惑をかけない趣味や、ひいては生き方というのは。

たばこに関し、つい最近まで普通に楽しんでいたものを、急激に力で上から押さえつけることに、古い映画を見ながら、ささやかな疑問を感じただけです。

ちなみに私はたばこをやめました。

8月6日

8月の6日といえば、ねぶたの夜間運行の最終日で、青森市ではいちばん盛り上がる日なんです。津軽衆の血が、それはそれはじゃわめいでじゃわめいで、いてもたってもいられない感じになるんです。

ただ、毎年その時期になると思うところがあって。
8月6日は、広島に原爆が落とされた日でもあります。
毎年、厳粛な式典の映像でその日の朝が始まります。
かたや祭りでじゃわめいで、かたや重く悲しい過去を噛み締める。
願わくば、ねぶたのクライマックスの日を変えられないのかとすら思います。
ねぶた祭りのほうがはるかに歴史が古いですからまあ無理な話ではあるでしょうけども、祭り期間が毎年8月2日から6日までというのは由来やいわれがあるわけではありません。他の地域の祭りとは違い、五穀豊穣を願うものでもなければ、祈りを神に捧ぐものでもないからです。いわば世界一フリーダムなフェスティバルなのです。なおかつ毎年毎年、今年は曜日回りがどうの、というグダメぐ話になります。だったら逆に毎年都合のいい曜日で固定してもいいのにとも思います。むしろそのほうが経済効果に貢献できそうな気もします。
誤解されては困るのですが、もちろん、ねぶた祭りを愛しています。私の実家は祭りに直結した仕事をしています。小さい頃からねぶた祭りは年中身近にあり、常に関わってきました。誰よりも愛しています。ですが8月6日が持つ意義もこの先、未来永劫、変わることは無いのです。

 

7日の夜、興味深いドキュメント番組が放映されていました。

広島出身の吉川晃司さんが、地元を尋ねるというものでした。
吉川さんは、被爆二世です。

吉川さんの実家は中島という地区にあった吉川旅館で、原爆ドームから川を隔てたすぐのところにあったそうで、お父さまは子どもの頃までそこで育ったそうです。旅館はおじいさまが経営されていました。写真を見る限り、とても立派な旅館でした。お父さまは原爆の話をあまりしたがらなかったそうです。CG技術で爆風が街に飛び散るさまを目の当たりにした吉川さんは言葉にならないと言っていました。一家疎開して命は免れたが、その後に旅館を買い取って住んでいた人は亡くなってしまった、その事実も何とも言えず言葉にならないと。

吉川さんは東日本大震災の後も被災地に来て自転車を直すボランティアをしていました。純粋にボランティアをしたいからと、素性を隠して。本人だと知られ、あなたのような名の知れた人はほかに効率的なやり方があるだろうと責められても、自分の意志を曲げずに奉仕活動をしていたといいます。
歳を重ねるごとにかっこいい大人、その最たる例だと個人的には思っています。

復興支援ライブでのこの歌に、目頭が熱くなるのは私だけではないでしょう。
この時期に、想いを寄せて。

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