Vまん、徒然

北の果ての素人ギター弾き、独り言

ジェイル大橋さんに憧れて三十余年

今から30年以上前のこと。ハードロックとかヘヴィメタルだとか、そんなジャンルを気にせずに音楽を聴いていた中学生の頃。
地元青森ではなぜか夕方にTV放映されていたお昼の番組「笑っていいとも!」。その中のゲストコーナー、テレフォンショッキングに出ていたデーモン小暮閣下。なんだろこの人は!?とブラウン管画面に釘づけになり、更にその面白い話術にグイグイ引き込まれ、そしてその人がバンドでボーカルをやっていること、また、実は人間ではないこと等をいろいろ知っていく。そのバンドは「聖飢魔Ⅱ」という名前なのだそうだ。厳密に言うと悪魔教という宗教団体で、布教の手段に音楽を用いており、ミサという名のライブ活動をしているのだそうだ。バンド名は、なるものにえている悪び蘇るという意味だという。設定が最初からもう心配になるほど完璧。せいきまつ。TVに出ていたその白い素顔の音楽的宗教団体を見た僕の母親が、「ワィ、こィだばほんとに世紀末だジャ」と実に素直な感想をこぼしていたのを思い出す。今は亡き父親なんかはその後、テレビに聖飢魔Ⅱが出ていると、僕の部屋まで来て戸をガッと開けて「おめの好ぎだ白い人だぢ、まンだテレビさ出でらよ!」と教えに来るようにまでなった。父ちゃん、だからあれは人じゃなかったんだよ。まあいいか。

当時、中学のクラスではいつもみんなでお気に入りのカセットテープを交換し合っていた。尾崎豊レベッカやCCB、米米クラブバービーボーイズBOOWY、吉川晃司、NOBODY、稲垣潤一、安全地帯、爆風スランプ...、とにかくいろいろ。聖飢魔Ⅱも誰からか借りて、例外なくダブルデッキで倍速ダビングして、曲名が書かれたカセットレーベルを手にしながらじっくり聴いたものだ。1枚目と2枚目のアルバム、もとい大教典。閣下の伸びやかなハイトーンと巧みな歌唱力に導かれしメロディラインは、そのハードでヘヴィなバンドサウンドに免疫の無いこの中学生をスッと招き入れてくれた。歌詞の内容も地獄と悪魔だらけだ。こういうことをしてもいいんだなと、なんだか垣根を取っ払ってもらったような自由さも感じたものだ。中学2年頃から僕はギターを弾いていた。当時流行のビートロックが好きでよくコピーしており、友人が遊びに来ると弾いてみせていたものだ。ところが聖飢魔Ⅱのギターサウンドは、今まで弾いてきたそれらとは違った。ジャギッとして、ズンズンして、ズグズグして、ピロピロして、ギュイーンだ。そこで初めて僕は、メタルギターの奏法というものを知る。ラウドネスでも44でもなく、メタルにのめり込むきっかけは聖飢魔Ⅱだった。そこに2名居たギタリストのうち、ソングライティングもしていて、華麗で、速弾き担当のレフトサイドの片方を、とにかく猛烈に好きになった。生まれて初めて、長髪をかっこいいと思った(今にして思えばそんな長髪でもない)。

そのギタリストの名を、「ジェイル大橋」といった。

ダビングしたカセットテープでは物足りない。当時はそのころまさにアナログレコードからCDへの過渡期。CDを普及させたいがためかどうかは定かではないが、CD化されたアルバムは2曲ほど多く収録されているものだった。2枚目の「THE END OF THE CENTURY」のCDには「創世紀」と「JACK THE RIPPER」が足されていた。小遣いを貯めてがんばって買った。余談だが、シンバルロールのシャ~…から始まるタイトル曲や余計な曲振り説法の無いレコードバージョンのほうが好きだったりする。まあともかく、ブックレットに写っているジェイル大橋さんを憧憬の眼差しで見ていた。そして当時地元で放映されていた、新曲のPVを紹介していく音楽番組内で流された、あるひとつの楽曲に多大な感銘を受ける。曲名を「アダムの林檎」といった。英語でAdam’s Appleというとのどぼとけの意味なのだがこの場合は純粋に悪魔の果実としての林檎のことを歌っている。ソリッドな歪みカッティングのイントロ、いきなりメロディアスなAメロ、ドラムは速くなるのにギターはクリーンで美しくなるBメロ、重さと印象的なリフのサビ、間奏へ繋ぐスリリングなブリッジバースがあっての、劇的で時に妖しく時に速く、液体のように流れては徐々に昇華していくギターソロ、歌へ戻るリフ中の一瞬のブレイク。全てが完璧。かっこいい。録画したそのビデオテープが文字通り伸びてしまうほどに、毎日毎日見ていた。居間にしかテレビもビデオデッキもない時代、いち早く夕食を済ませて、空いた居間で1人でビデオを見てから部屋へ戻るという生活リズムの繰り返しの日々だった。

3枚目の大教典「地獄より愛を込めて」は超名盤。人生を変えたアルバムを5枚あげろと言われたら迷うことなく、間違いなく選ぶ。その収録曲の大半をジェイル大橋さんが作曲している。歌詞も曲もアレンジもアルバム全体の雰囲気もすべて完璧なメタルワールド。メタル評論家というものは昔から頭が固い連中が多く、聖飢魔Ⅱは当時はあまり認められていなかった。BURRN!誌なんかは第1教典に0点を付けおった。しかし日本のヘヴィメタル史においてこの第3教典はとても重要な位置を占めていると信じて疑わない。疑わないまま30年以上が経った。いまだ色褪せぬ、非の打ち所の無い純粋なメタルアルバムだ。このころのジェイル大橋さんのギターの音色もプレイスタイルもいちばん好きで、自分もいまだずっと追い求めているものである。

「悪魔の黒ミサ」というライブビデオ、もといミサの活動絵巻教典が発布された。昔はビデオソフトが驚くほど高価で、中高生が買える代物ではなかった。学区内のビデオレンタル屋さんにあるという情報を聞き、はやる気持ちを抑えながら自転車を漕ぎ、入会方法も身分証明方法もよくわからないまま店に駆け込んだ。電話番号と住所を告げてその場で電話帳で実家の確認をしたことを覚えている。個人情報保護だのコンプライアンスだのなかった時代だからできたこと。無事借りられて、信者仲間も呼んで僕の家で見ることに。例の居間で見るものだから、そこには当たり前のように我が家族も同席。なんとシュールな図か、のどかな時代だったものだ。最初から最後まで食い入るように悪魔のミサ映像にとり憑かれたそのさまを、家族はどう思っていただろう。そんなことを気にする余裕もなく、一瞬たりとも見逃すまいと、動く悪魔たちをとにかく目で追った。どの構成員もかっこいいんだけど、しかしまぁジェイル大橋さんの華やかなこと。クールでスマート、堂々たる佇まい、常にリズムを取る長い足、軽やかなターンや足の上げ方、ミドルが削がれていないギターサウンド、流麗なソロワーク。動く姿を長時間堪能できた喜びは、こんなかっこいいギタリストはもうほかにいないという憧れへの確信へ変わり、一生ついていこうと決意するまでに至った。

ところが、ある日の歌番組「夜のヒットスタジオ」。聖飢魔Ⅱが出るという。当然、演奏されるとしたら「アダムの林檎」だろう。TV番組に出るジェイル大橋さんもかっこいいだろうな。期待に期待を込めて居間のテレビの前に正座して待ち侘びた。しかし、番組冒頭での出演者を紹介しながら歌っていくメドレーのとき、彼の姿は無かった。あれ、なんで?ジェイルさんは今日欠席?せっかくのテレビ出演なのに。ほどなく、デーモン閣下から衝撃のお告げがあった。「2名いたギタリストのうち、ジェイル大橋がバンドを脱退した」と。寝耳に水とは、青天の霹靂とは、まさにこのことだ。番組では4名でエルドラドを演奏。エース清水さんがソロを取れる曲に急遽差し替えたのであろう。当時の音楽番組はあて振りじゃなく生演奏だったからね。ジェイル大橋さんのいない聖飢魔Ⅱなんて興味もない。ショックを隠せないまま、次の日の学校で友達に喚き散らしたのを覚えている。そんな聖飢魔Ⅱは新たなギタリストにsgt.ルーク篁Ⅲ世さんという新悪魔を迎えて以後最後まで活動を続けていく。
補足説明ではあるが、聖飢魔Ⅱがデビュー直前に行ったギタリストのオーディションで最後まで残った2名がジェイル大橋さんとルーク篁さんだ。ライバルのような関係だったと想像されるのだが、はるかのちに行われる期間限定再集結で実に仲睦まじくステージ上で絡む姿を拝見すると、大人っていいなぁ、バンドっていいなぁ、音楽っていいなぁと本気で感動するのである。さらに余談であるが、sgtとはサージェント、軍曹。ルーク篁さんはその後参謀という称号で呼ばれるようになる。同時に閣下、長官、和尚、殿下という各構成員の呼び名も定着していったのもこの頃。ジェイル大橋さんには後付けで代官という称号が知らぬ間についていた。そんな呼び方をしたことはなく、これはいまだにしっくりきていない部分のひとつではある。称号なしの時代を僕は大事にしたい。
あんなに印象に残り、心奪われ、夢中になったにもかかわらず、振り返るとジェイル大橋さんが聖飢魔Ⅱに在籍していたのはたった1年半。なんて濃密な期間だったのだろう。今にして思えば、その刹那の光陰を同時に併走追走できていたことはこの人生において幸せなことだったのかもしれない。

ルーク篁さんもかっこよかった。高校時代に組んでいたコピーバンドではルークさん役をやっていた。ジェイルさんはもういないのだから、寂しいけど、認めて、受け入れるしかなかった。ルークさんはミサでジェイルさんの曲をやるときは、ソロとかを崩さずに丁寧に原曲通りに弾いてくれていた。きっといい人、もとい悪魔に違いない。そんなさなか、音楽雑誌ロッキンfジェイル大橋改め大橋隆志さんのインタビューが載った。人間の格好で、サングラスをかけたアップの顔写真。その見出しタイトルが衝撃だった。「聖飢魔Ⅱにいたころは耐えられなかった」。俄かに信じがたいその言葉を見て、猛烈に一気に記事を読んだ。しかし良く読んでみると、キャラが先行するバンドだから生き残るには音楽しかない、雑誌のインタビューでも音楽のことについて語りたいのに、好きな色はなんですかみたいな質問しかこない、自分もロック大好きでメタルキッズだったから、余計にそれが耐えられなかった、という内容だった。まるで聖飢魔Ⅱに在籍したころのすべてを否定するかのような誤解を生ませた、あのロッキンfの記事見出しはあまりにも罪深い。大切にしてきた夢を、不意にでかいハンマーでぶち壊された気がしたからだ。大橋さんはその後アメリカに渡り「Cats In Boots」を結成する。インディーズのレコードを予約し、待ち焦がれて購入した。がらりと変わってしまったアメリカンなロックンロールにこれまた驚愕したものだが、でも、応援して行こうと決めた。ところが全世界でメジャーアルバムが発売されるも、メンバーの不和で長続きせず、バンドは崩壊してしまう。

もうこの世にはジェイル大橋さんという存在はいないんだと、ルーク篁さんに変わってからの聖飢魔Ⅱも聴き続けていた。ポップ路線にどんどん寄って行くさまに少し疑問を抱きながらも。そして1995年、聖飢魔Ⅱ地球デビュー10周年のイベント「オール悪魔総進撃~THE SATAN ALL STARS~」が行われる。そこには歴代の旧構成員も参加した。僕は社会人に成りたてで日々忙しくしていたのもあり、聖飢魔Ⅱからちょっと離れていたときだったのもあり、行われたことすら知らずにいた。なのであとから発布された活動絵巻教典を買って、見た。ミサ中盤の「秘密の花園」。ジェイル大橋さん作の美しいバラード。このまま、いないまま曲が終わるのか。否。違った。間奏部分でステージ後方の扉が左右にゆっくり開き、スモークの炊かれたバックライトの中に出てきたシルエットは紛れも無いジェイル大橋さんだった。人間の大橋隆志さんではない、悪魔のジェイル大橋さんだ。あのトーンで、あのギターで、あのソロを弾く。これだよ、これなんだよ。弾きながら、その長い足で階段を降りてくる。曲のエンディング、ジェイル大橋さんを挟んで左右にルーク篁さんとエース清水さん。なんだこのやばい図は。目頭が熱くなる。僕がずっと恋焦がれた悪魔は、あのころの姿のまま、そこにいた。
1999年に聖飢魔Ⅱは事前の宣言どおり解散するのだが、その後も5年周期で期間限定で再集結をしている。ジェイル大橋さんやゾッド星島さん達も入れて。2005年の20周年の期間限定再集結には仙台へも見に行った。生ジェイルさんは僕の立見席からは遠かったが満足だった。今後もそういうのがあるのかどうかはわからないが、予想できないことをやってきたバンドだから、淡い期待を今後も持っていようと思う。

そんなある日、ひょんなことから、聖飢魔Ⅱコピーバンド、念怒魔Ⅱに誘われた。ジェイルになりたい。今こそ、そう思った。あの頃猛烈に憧れた気持ちを、まずはギター製作にぶつけた。ボディを入手して、自分でパーツを組み込む。自分でジェイルストライプテープを貼る。あの、毎日居間のテレビで見ていたあのギターを。まったく同じものにはならないが、作っている間はとにかく楽しかった。そして、戦闘服も一から自作した。ジェイルさん現役時代の赤黒ストライプのロングベストのようなものを。手芸店で合皮生地を買い、自分でカットしてハトメと紐で繋ぎ合わせる。さらに、悪魔に変身するためにドーランを買う。30年前に購入した化粧品屋さんは今でもあって、不思議な気持ちで店内に入った。あ、あの、舞台で使うドーラン…とかはまだありますか…?と店員さんに恐る恐る尋ねると、詳しく話を聞いてきてくれたので、えぇいと思い、わかりやすく言うと聖飢魔IIです!と伝えた。高校生の時もこちらのお店で買ったんです、今またこの歳になってやることになりまして、といろいろ楽しく語ってしまった。店員さんはクレンジングやスポンジをたくさんサービスしてくれた。次回以降は顔を覚えてくれ、今日は何色?と聞かれるまでに。

好きなものって一生変わらないんだなと、呆れるほど自覚した。これはきっと、この先老いさらばえて命が絶するまで変わらないのだと悟った。こういう思いにⅡびさせてくれたバンドメンバーには感謝。聖飢魔IIにも感謝。それがあって、いろいろあって、このようにジェイル大橋さんへの愛を長々と書き綴りたいと思ったのであるから。

特撮と人間椅子に敬意を表する会、無事終了しました。

打上げ会場のBAR1/3にてふと我に返って思ったのは、特盛のみなさんや恐怖新聞社のみなさんが普通にそこにいて盃を交わし、あれっ、ここは青森だよな…って。
冷静に考えると、普段普通通りの生活を送っていたら一生交わることがなかった方々なんです。ただ近い音楽が好きだという、そのたったひとつの共通項だけで繋がった奇跡の縁です。
特盛のボーカル伊織さんが書いてました、コピバンなんていつでもやめられるのにと。そうなんです。みんな中学や高校のころに打ち震える音や言葉に出会い、楽しさと嬉しさのもとに憧れの人の模倣を始める。でもその後、大半の人は徐々にほかのことに時間とお金と気持ちを削がれて辞めていく。僕たちは、ただやってきただけなんです。自分たちがいちばん楽しめる揺るぎないものをわかってて、ただ好きでやり続けてきただけなんです

9/16、一年近く構想を練ってきたそのライブが執り行われました。
昨年我々毒撮を東京池袋に呼んでいただいたそのお返しを今回しようと思っていました。参加メンバーはみんな、人間椅子や特撮、大槻ケンヂさんのことを好きで、愛して、理解している人ばかり。事前に曲が被らないように、セッション時の曲の確認も取り、お互いに密に連絡を取り合いながらこの日まで準備してきました。

前日入りした東京組のみなさんとの前夜祭。もうそこから楽しくて、間違いなくいい明日が来るはずだと確信しました。
ライブ当日。リハーサル。みなさん自分のバンドの予定時間に間に合うように来てもいいものを、最初からほぼ揃うという正しい大人の図。ついにこの日が来たなぁと、今日はその分燃え尽きてもいいやくらいの気持ちで臨みました

正直、不安だったのは集客で、ライブイベントとしてとてもマニアックで間口が狭く、ご存じではない人にとっては怖いイメージもあったでしょうし、しかも開催場所である青森のバンドの、毒撮と毒魔のメンバー計7名しかチケットを捌ける人間がいなかったという事実。難産覚悟のうえ、でも絶対楽しいものにする自負はありましたから、本当にたくさんのかたに直接連絡を差し上げました。中には特撮や人間椅子を知らない方も当然いたり、ほかの予定が入りやすい3連休の中日にもかかわらずスケジュールを調整してくださるかたもいたり。ですから、あの日あの場所にいらしてくださった方々には本当に感謝をしています。来ようとしていたけど来れなかった方々にも感謝をしています。本番中バタバタしていて、来てくださった全ての方に御礼のご挨拶を直接できていないことがもどかしい。この場を借りて、心から多大な感謝を捧げたく存じます。

我々毒魔からライブはスタート。お客さんもいっぱいだ。なんとありがたい。人間椅子のカバーというのは、難しいリフを弾きながら難しい歌詞の歌を歌うという、これほどまでマゾヒズムを感じることがほかにあるだろうかという難易度でして、ほどよい緊張感のもと幕は開きました。6曲やって温まってきたところで、神奈川よりいらした恐怖新聞社さんにバトンタッチ。敢えて両バンドとも出囃子が此岸御詠歌という演出。恐ろしさと楽しさが同居する憑依のステージ。特にベース棚木さんの入り込みようは凄い。ギター甲斐さんは優しそうな人柄が演奏にも現れていました。セーラー服に身を包んだドラマーの亡南無子さんは小柄な女性なのに力強くて、難しいはずの変拍子もノーミスで叩いていました。やっぱり椅子の曲はいいなぁと噛み締めながら、怖いはずの曲を、口角が上がった顔で見ていました。
せっかくの機会だから、一緒にセッションしたいなぁとは最初から考えていて、それを実行しました。毒魔+恐怖新聞社。毒に満ちた魔物の恐ろしい新聞の会社ですよ。そら楽しいに決まってる。セッション向けの曲として2曲選び、にこやかなギターサイドと極悪過ぎるベースサイドのコントラストも素晴らしく、この時間がずっと続けばいいのにと思うくらいに面白かったです。

転換して特撮の部へ。
東京からいらした特盛さん。この方々がいなければ、約2年前のあの日にメッセージをくれなければ、この集まりも、今日という日も無かったのです。一般的に希薄と思われがちなネット上でのお付き合いも捨てたものではなく、要はどんな道具でも使い方次第なんですね。去年の池袋の夜も楽しかった。たくさんおもてなしをしていただいた。その思いを、やっと返せる日が来た。存分にライブをしてほしいと願っておりました。特撮の名曲オンパレードのステージ。キメの部分でお客さんの腕があがる。曲を知ってる人は一緒に歌う。いいぞ。とてもいい一体感だ。呼んで良かった。来てくれて良かった。たくさんのお客さんが見てくれている。バンドも応える。直前までの不安が払拭されて、いろんな気持ちがこみあげてきます。いや、泣いてる場合じゃない。毒撮の出番だ。吹っ切れてまあそれはミス多かった、しかしやりきった感に満ちたこの気持ちはいったいなんだ。なんだろう。
最後、特盛+毒撮のセッション。毒盛の特撮です、これまた楽しくないはずがありません。これ以上乗らないよと思える人数と楽器が、ステージ狭しと。暴れやすい2曲を、それぞれがそれぞれの思いを込めて、それぞれのパフォーマンスで

終わった…
準備してきた我がバンドメンバーと、遠路はるばる来てくれたバンドさんと、足を運んでくれたすべてのお客さんと、会場のスタッフと、みなさんのおかげさまを持ちまして、無事、滞りなく遂行できました…
個人的に5週間連続ライブの最後だったのもあり、やりきったなぁとスゥーっと魂が抜けていくようでした。

打上げの席。ビールがうまい。ふと、考える。ここは現世か。で、最初の文章へ繋がるわけです。みんなやりきって満足げににこやかだ。よかった、本当によかった…

連休も明け、向こうのみなさんも平常に戻って今ごろお仕事してるんだろうなぁと思いながら。きっと、真面目に音楽やって真面目に行動してる人は仕事も真面目なはずなんですよ。お付き合いに大事なのは真面目さです。そんな人ばかりが集った大人のライブだったんだと、今、改めて思い返しています。

きっかけを作ってくださった、特撮と人間椅子に感謝を込めて。


【特撮と人間椅子に敬意を表する会   ~綿いっぱいの地獄風景~】

「毒魔」
太陽の没落
賽の河原
人喰い戦車
幸福のねじ
陰獣
迷信

恐怖新聞社」
黄金の夜明け
ダンウィッチの怪
水没都市
悪魔の手毬唄
人面瘡
地獄の球宴

「毒魔+恐怖新聞社セッション」
針の山
ダイナマイト

「特盛」
人として軸がぶれている
音の中へ
戦え!ヌイグルマー
ピアノ・デス・ピアノ
旅の理由
5年後の世界
林檎もぎれビーム
綿いっぱいの愛を

「毒撮」
オム・ライズ
バーバレラ
ロコ!思うままに
花火
テレパシー
7人の妖

「特盛+毒撮セッション」
特撮のテーマ
アベルカイン

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トリビュート・バンドのライブです

あるバンドがとにかく大好きで、その憧れのもとに少しでも近づきたくて、そしてより深く理解したくて、多大なる尊敬や敬愛のもとに、単なる真似事をひとつ越えたコピーバンドのことをトリビュートバンドと呼ぶ、と自分の中で勝手にカテゴライズしていまして、自分でもそういうバンドをやっているのですが…、その中に特撮のトリビュートバンド「毒撮」と、人間椅子のトリビュートバンド「毒魔(DOGMA)」があります。
このたび、関東から、これまた特撮を愛してカバーしている「特盛」と、人間椅子を愛してやまない「恐怖新聞社」の二つをお迎えし、計4つのバンドで、人間椅子と特撮へ向けてのスペシャルなリスペクトカバーナイトを企画しました。

その思いに共鳴できる人なら思わずニヤッとしてしまうような、また仮に原曲を知らなくてもあぁこの人たち本当に好きなんだなぁとほっこりしてしまうような、そんなライブになることかと思います。

長きに渡る構想期間を経て、次の3連休の中日である9月の16日(日曜日)に、そのライブを執り行います。
会場全体で、その思いを共有できたら、それはそれは楽しいものになると信じています。少しでも興味のお有りのかたはぜひいらしてください。よろしくおねがいいたします。


【特撮と椅子に敬意を表する会 ~綿いっぱいの地獄風景~】
会場 青森Quarter
日時 2018年9月16日(日)
開場 17:30 開演 18:00
前売 1,000円 当日 1,500円(+1D 500円)

《ライブ内容》
人間椅子の部~
 毒魔(DOGMA)
 恐怖新聞
 毒魔+恐怖新聞社によるセッション
~特撮の部~
 特盛
 毒撮
 特盛+毒撮によるセッション

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人間椅子 恩讐の彼方~2018年晩夏のワンマンツアー 青森Quarter

アルバムに伴うツアーではないためか、今回の演目はまるでファンクラブの集いのような内容。コアなファンにはたまらなかったに違いない、かく言う私もその一人。

侵略者。夜間飛行。晒し首。野垂れ死に。ダンウィッチの怪。辻斬り小唄... 曲が始まるたびに悶絶です。塔の中の男も久しぶりでした。ドラマティックな展開を思い出しながら聴いていました。

ふるさとに帰ってきましたと言ってくださるメンバー。デビュー以来ずっと、見知らぬ世界のツアー以外は必ず青森に来てくださっています。アルバムの売れ行きにかかわらず、しかもたいがい日曜日に。そのほとんどを見てきた自分にとって、今回のライブは本当に特別に思えました。演奏に、MCに、とてもファンのことを考えてくれてるんだろうという姿勢が顕著だったからです。

来年はなんとデビュー30周年。高校のころにその音に出会い、バンドの歩みをずっと応援してまいりました。ドラマーの遍歴こそあれど、最初のスタイルから常に一貫。厳しい時期もおありだったでしょうが、休むことなく常にロックを信じて前進してこられた姿。それが、今回のツアーもやってくださるような余力さえ持つ大きな存在になったこと。こんな嬉しいことはありません。

アルバム此岸礼賛あたりから、しっかり噛み砕いて聴かないといけないような曲が増え、それはそれでクオリティが高くて素晴らしいのですけど、やはり古い曲はもう身体に馴染んでるといいますか、歌詞もしっかり覚えています。批判を恐れず言うならば、後半の新し目の曲は今回のツアーには無くてもよかったかなぁと、いや逆に表現するならばもっともっと普段やらないマニアックな曲で固めたほうが意義がわかりやすかったのにと、これは心底椅子を愛して理解してるからこそ敢えて、です。

心の芯から楽しめたライブ。

これからも健康にご留意され、事故などに遭われることも無きよう、恐ろしいアルバムと気持ち悪いロックの創造への益々のご活躍を期待し応援してやみません。

 

「恩讐の彼方~2018年晩夏のワンマンツアー」
鉄格子黙示録
侵略者(インベーダー)
時間からの影
夜間飛行
塔の中の男
晒し首
野垂れ死に
ダンウィッチの怪
命売ります
心の火事
黒猫
悪夢の添乗員
地獄の球宴
雪女
針の山

辻斬り小唄無宿編
地獄のヘビーライダー

なまはげ



SION-YAON 2018 with THE MOGAMI

さて、毎年恒例の弾丸パンダ号・車中ニ泊ツアーを決行して帰ってまいりました。
SIONさんの野音。彼のライブを見るのはもう10回を超えただろうか、なかなか東北にも来ないからこちらから行くしかないのです。

気温35度の予報の中覚悟して行った花の大摩天楼は、事前の覚悟が大きかっただけに、なんとか耐えられました。SIONさんも、今まで何度も野音やってるけどいちばん暑いんじゃないかって言ってました。去年は雷鳴の中で整列中にずぶ濡れになりましたからね、それよりははるかにマシです。

中期のレア曲から立て続けに始まったライブ、開けた缶ビールも美味くて最高のロケーション。ファン以外は絶対に知らない曲ばかりでしょうけどね、ファンは大盛り上がり。今年も会いに来れた、幸せだ。

今回の心臓鷲掴みポイントは、「クロージング・タイム」と「痩せ我慢ピエロ」。暮れゆく野音で聴くしっとりソングはやばい。ハードにドライブする曲も自然に体が動いて最高ですけどね。困るのは、まだまだ聴きたい曲がごまんとあることです。自主制作のNaked Tracksを入れたらもう約50枚アルバム出してますからね、長淵さんみたいにオールナイトでやってほしいものです。

タイトでホットなスケジュールでキツいですが、詰まりに詰まったやりたいことを遂行すること、それを充実と言うのでしょう。だから苦にはならないのです。

今回も、SIONさんからパワーと感動をもらってまいりました、ホヤホヤだ。
だから今日も明日もがんばれそうな気がする!


SION-YAON 2018 with THE MOGAMI

2番目の夢で食ってる
はじめまして
光へ
これ以上どうしろっていうんだ
気力をぶっかけろ
胸を張れ
後ろに歩くように俺はできていない
がんばれがんばれ
彼女少々疲れぎみ
洒落た日々から遠く離れて
たまには自分を褒めてやろう
クロージング・タイム
キャスト
すばらしい世界を
しばらく月を見てなかった
痩せ我慢ピエロ
忘れられない人のひとりくらい
ちょっとでいいんだ
新宿の片隅から
マイナスを脱ぎ捨てる

一瞬
春よ
Hallelujah

今さらヒーローになれやしないが
このままが

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和嶋慎治 ソロライブ  ーまんどろだお月様ー

時系列的に前後しますが、6/30に弘前は萬燈籠にて、人間椅子の和嶋さんのアコースティックソロライブがあったのでした。

椅子愛については日頃、常々、ひねもす、語りまくっているので敢えて改めて申す必要もないのですが、やはり私にとってはこの和嶋さんというお方は格別に別格でして、それが小さめのハコで至近距離で拝めるというのは夢の中で見ている夢のようなものなのです。

4年前に続いて2回目の萬燈籠でのソロライブ。前回の演目を軸に、椅子本体ではやれなそうな曲も差し込み、自由なお話もたっぷりに、3時間近くやってくださいました。

ムーのTシャツの上にムーのスカジャンを粋に羽織り、ボトムにはモンペ。楽器はマーチンのみを武器に、時折エフェクトやループも効果的に用いながら。そしてなんといってもよく声が出ていて、歌が素晴らしかったです。

通常の弾き方に加え、エレキばりに単音リフも多用し、時に力強く時に優しく、野生的と繊細さを行ったり来たり。

前衛的な演奏に載せた詩の朗読、アイドルへ提供した曲のアコアレンジ、日本語詞を載せた替え歌と称したビートルズカバー、元はストレートな8ビートの曲がシャッフルに装ったり、劇的に重く表現される椅子の曲、いやはや盛りだくさん。

終演後の打上げではファンとの交流も。それぞれの島を廻り、ほろ酔い状態で気分良さそうにお客さんと語らう姿に、飾らない優しさを感じました。質問や問いかけにもその都度じっくり丁寧に応えてくださり、まるで夢のまた夢のまた夢の中にいるよう。

大きな存在になってもそばにいるような、永遠のお兄さんのような、面倒見のいい先輩のような。

だからこれからももっともっと応援していきたいなと思うし、そういう風に自然に思わせてくださるところ、そこが魅力です。深い詞やかっこいい曲を生み出し続ける天才は、決して威張ったり虚勢を張ったりしない。人間椅子のファンはすべからく、おしなべて、メンバーのそれを見抜いています。

まだまだ文章にしきれない、そんな濃厚なライブでございました。


「和嶋慎治 ソロライブ  ーまんどろだお月様ー」

赤と黒
孤立無援の思想
黒百合日記
わたしのややこ
白昼夢
暗い日曜日
リジイア
甲状腺上のマリア
命売ります
僕のポニー
おはぎ(ビートルズカバー)
断言はダダイストポエトリーリーディング
胡蝶蘭
悪魔と接吻
en)
神経症 I LOVE YOU

 

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JOY-POPS 35th Anniversary Tour ”Wrecking Ball” 青森Quarter

JOY-POPSが青森Quarterにやってきた!
ハリーと蘭丸の18年ぶりのタッグ、スライダーズのデビュー35周年企画として。
去年のハリーのソロツアー青森公演メンバーにはジェームスがいたので、あとはズズ次第で、もしかしたらもしかするのかと勝手に期待をしています
数在る再結成には残念やガッカリがつきまとうものですが、スライダーズなら絶対心配ない。ひとつも変わってないんだもの。
今日の二人のギターと歌は、僕を青春時代に一気に戻してくれました。しかも新曲まで引っさげて。
基本的に寡黙で無口な二人が、ライブの後半で、出会った頃の話や今回のツアーのきっかけをたくさん話してくれました。お互いがお互いを信頼し敬い合っているのが垣間見え、なんとも言葉にできぬほっこり感に、あぁ来て良かったと心から思いました。
歌い方も、その声も、ギターの音も、弾き方も、すべて心地よく素晴らしい。本物は、生き残る。MCの中で「もうこんなんになっちゃいました」と自虐されていましたが、それはファンとて同じこと。本物を追いかけて歳を食い、でもあの頃と変わらぬ感動と興奮がいつまでも在る。若い人にも見てもらいたいね、このロックの正解の姿を。


「JOY-POPS 35th Anniversary Tour ”Wrecking Ball”」

7th Ave.Rock
安物ワイン
Angel Duster
エンプティハート
GET OUT OF MY MIND
カメレオン
Feel So Down
FRIENDS
かえりみちのBlue

すれちがい
Midnight Sun
新しい風(New)
デルタのスー(New)
Sugar Sugar
Yooo!
No More Trouble
Special Woman
Back To Back
en)
マスターベイション
天国列車
ありったけのコイン

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