Vまん、徒然

北の果ての素人ギター弾き、独り言

8月6日

8月の6日といえば、ねぶたの夜間運行の最終日で、青森市ではいちばん盛り上がる日なんです。津軽衆の血が、それはそれはじゃわめいでじゃわめいで、いてもたってもいられない感じになるんです。

ただ、毎年その時期になると思うところがあって。
8月6日は、広島に原爆が落とされた日でもあります。
毎年、厳粛な式典の映像でその日の朝が始まります。
かたや祭りでじゃわめいで、かたや重く悲しい過去を噛み締める。
願わくば、ねぶたのクライマックスの日を変えられないのかとすら思います。
ねぶた祭りのほうがはるかに歴史が古いですからまあ無理な話ではあるでしょうけども、祭り期間が毎年8月2日から6日までというのは由来やいわれがあるわけではありません。他の地域の祭りとは違い、五穀豊穣を願うものでもなければ、祈りを神に捧ぐものでもないからです。いわば世界一フリーダムなフェスティバルなのです。なおかつ毎年毎年、今年は曜日回りがどうの、というグダメぐ話になります。だったら逆に毎年都合のいい曜日で固定してもいいのにとも思います。むしろそのほうが経済効果に貢献できそうな気もします。
誤解されては困るのですが、もちろん、ねぶた祭りを愛しています。私の実家は祭りに直結した仕事をしています。小さい頃からねぶた祭りは年中身近にあり、常に関わってきました。誰よりも愛しています。ですが8月6日が持つ意義もこの先、未来永劫、変わることは無いのです。

 

7日の夜、興味深いドキュメント番組が放映されていました。

広島出身の吉川晃司さんが、地元を尋ねるというものでした。
吉川さんは、被爆二世です。

吉川さんの実家は中島という地区にあった吉川旅館で、原爆ドームから川を隔てたすぐのところにあったそうで、お父さまは子どもの頃までそこで育ったそうです。旅館はおじいさまが経営されていました。写真を見る限り、とても立派な旅館でした。お父さまは原爆の話をあまりしたがらなかったそうです。CG技術で爆風が街に飛び散るさまを目の当たりにした吉川さんは言葉にならないと言っていました。一家疎開して命は免れたが、その後に旅館を買い取って住んでいた人は亡くなってしまった、その事実も何とも言えず言葉にならないと。

吉川さんは東日本大震災の後も被災地に来て自転車を直すボランティアをしていました。純粋にボランティアをしたいからと、素性を隠して。本人だと知られ、あなたのような名の知れた人はほかに効率的なやり方があるだろうと責められても、自分の意志を曲げずに奉仕活動をしていたといいます。
歳を重ねるごとにかっこいい大人、その最たる例だと個人的には思っています。

復興支援ライブでのこの歌に、目頭が熱くなるのは私だけではないでしょう。
この時期に、想いを寄せて。

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